〜一ノ谷の戦い〜

倶利伽羅峠の戦いで源 義仲に敗れ、兵力を失っていた平家は
義仲と頼朝軍が源氏同士、相争う間に、兵を立て直していったお。

西日本をほぼ手中にした平家は、平 清盛が都としようとしていた福原(現・神戸市近辺)を
回復するにまでに至っていたお。

源氏は、後白河 法皇による、平家討伐、及び三種の神器の奪還の命を受けて
京の都を出立、進軍を開始したお。

源氏方は、源 範頼が主力5万、源 義経が遊軍1万を率い
平家方は、総大将・平 知盛を中心に、生田の森に布陣お。

両軍は摂津国・一ノ谷で激突お♪


緒戦に勝利した義経軍は、「鵯越え・ひよどりごえ」にて軍を2分
主力を安田 義定、多田 行綱に任せて
義経自身は精鋭70騎と共に、険しい山道を進むお。

後の世に「逆落とし・さかおとし」として語り継がれる
急峻な崖を馬で駆け下り、平家の陣を裏手から急襲お。

平家の陣は大混乱に陥り、義経は平家の陣に火を放って混乱を助長
平家は海側へ逃亡、多くの者が溺死お。

平家は、清盛の弟・通盛や、総大将・知盛の嫡男で怪力で知られた知章
笛の名手でもあった敦盛らが討ち死にしたお。


※ただし、逆落としについては、多田 行綱が行ったとの説もあり
戦刻酔虎伝では、多田 行綱と同じ多田源氏の末裔とされる
多田 満頼が、源 義経と轡(くつわ)を並べて奇襲を行っているお♪


※敦盛の死に際は、後に能や歌舞伎の題材となり、「敦盛』として人気を博し
織田信長が桶狭間の前に、家臣の前で舞ったとされるお。