〜壇ノ浦の戦い〜

屋島の合戦で、義経軍の前に大敗を喫した平家は、海上へと逃亡お。


九州も、源 範頼率いる大隊によって攻められ、葦屋浦の戦いで敗れて
北九州での支配権を失っていたお。

平家は、彦島(現・山口県下関市)にまで逃れるよりなく
九州の部隊とも分断され、孤立してしまったお。

吾妻鑑では、合戦は平家が最後の海軍力を使って戦いに挑むも
午後には源氏方・圧勝で、決着がついていたと記されてるお。

流石に、ここまで分断され、各個撃破され、逃れに逃れてきたんだから当然お♪


でも、それじゃあつまらんって事で、『平家物語』などでは、華々しく脚色されてるお。


源氏方は、範頼が大軍を率いて陸から仕掛け
義経は、味方にした渡辺水軍、河野水軍、熊野水軍らを率いて海から攻めるお。

対する平家軍は、平 知盛が総指揮官となり、船団にて義経軍を翻弄お。

潮の流れの激しい関門海峡での戦闘は、水軍力に長けた平氏側に有利にはたらいたお。

義経軍は押され窮地に陥ったけど、義経は当時、禁じ手とされた
非戦闘員であった平家方の船の漕ぎ手を射殺す様に命じ
それから戦局が一変し、平家は敗北したってやつお。


それに、平家最強の武将・平 教経との有名な一騎打ちもお。

源氏の船団に乗り込んできて、義経を倒そうとする教経に対して
義経は、身軽に次から次へと別の船に飛び移り、逃げ去ってしまったお。

有名な義経の、『八艘飛び』お♪



平家は、知盛ら多くの将や妻子が入水して命を絶つ中
総大将の宗盛親子は捕虜となり、京にて引き回され
助命嘆願も聞き入れられず、打ち首となったお。


『平家にあらずば、人にあらず』と言われる程、隆盛を極めた平家は
こうして滅亡したお。