諏訪 蛍・・・・・(諏訪御料人)

写真 1527?1530?〜1555
 諏訪大社の大祝(おおはふり)を勤める一族・諏訪氏・
 頭主・諏訪 頼重の娘。 
 
 物語では、諏訪大社の巫女も勤め、晴信と諏訪湖の畔で
 運命的な出会いをする。
 
 史実では、武田が諏訪 頼重を滅ぼした後に、晴信の
 側室となり、後に信玄の跡を継ぐ事になる、武田 勝頼を
 生むも病弱だったのか、若くして他界した。
 
 元々諏訪氏は、頼重の祖父・頼満の代から、信玄の父・信虎と干戈を交えてきた。
 
 諏訪 碧雲斎 頼満は、諏訪中興の祖として知られた英雄で、当時・惣領家と大祝家に
 分かれていた諏訪家をまとめると、諏訪下社の金刺家を攻め、同族の高遠氏を下し
 諏訪をほぼ統一した。

 その後、甲斐に逃れた金刺氏を庇護した信虎が諏訪に侵入してくると、激戦を繰り
 広げ、信虎の軍師・荻原 備中守 昌勝をはじめ、多くの武将を将兵を討った。

 この敗戦後、信虎は頼満と結び、頼満の孫である頼重に、娘の禰々を嫁すなど
 友好関係を維持した。

 しかし頼満が、背中にできた腫れ物が悪化し死亡し、信虎が晴信に追放されると一転
 する。

 友好関係は破棄され、武田は高遠頼継と結び、禰々の生んだ寅王が諏訪の嫡子で
 あるとして
諏訪を攻め、頼重は計られて切腹させられた。

 諏訪御料人は、頼重の正室・禰々の生んだ子ではなく、側室・小見氏の腹で
 絶世の
美女と謳われた。

 板垣信方ら重臣が、「敵の姫であるから」と側室にするのを反対していたモノを
 山本勘助の口ぞえで側室にする。

 後に、武田信玄の跡を継いだ、武田勝頼を生む。

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